それはそうとも

思った事から映画の感想まで

大切だった女の子とマスターへ

私の高校時代は明るかったと言い難い。虐められていたと言うわけではないが、それに近いものがあったのかなあと個人的には思う。まあ、それも全部自分のせいだから何とも言えないんだけれども。

 

思い出したくもない昔の事を、本当にごく稀に思い出す。

 

私には彼女がいた。それとは他に仲の良い女の子が居て、そいつの事が好きな親友も居た。「親友」って響きはすごいチープだけど、最も仲の良かった友人を指し示す単なる言葉として使わせてもらった。

 

あんまり詳しく書きすぎると身バレしそうで怖いから、詳細はは省かせていただく。ものすごい簡潔にまとめると、三角関係がこじれて、私が約束を守らなかったせいで仲の良い女の子を失った。そして、それを密告した親友を脅迫して、結局彼も自分の元から居なくなった。彼女以外の全てを失った。

 

私はとても悪い人であるから、周囲の人が私から離れていくことは多々あった。浮気とか平然とするし、どうでも良い人は当たり前かのように使い捨てるし、人を傷付けることにあまり躊躇はなかった。だから、自分が興味のない人が離れていくことに対しては何も感じない。自分の周りで自分が素敵だなと思う人自体がとても少なかったので、自分の好きな人に嫌われるのは初めての経験だった。

心から尊敬していた女の子に嫌われてしまった。二度と話しかけないでと、二度と私に関わらないでくれ、と。
彼女はとても自由な人だった。休み時間に大声で歌は歌うし、化学の授業は適当に受けて先生にひたすら怒られてるし、発言も8割は空気を読んでいないような発言をするし。でも、本当に素敵な人だった。周りを気にしない、こういった表現はあれかもしれないが良い意味で日本人らしくない女の子だった。少し困った私をいつも笑顔にしてくれる人だった。学校に行きたくないと高校2年生の中盤から思い始めたが、最後まで通いきれたのは彼女とその女の子のおかげだと思う。

 

女の子が私に貸してくれた本があった。その本を読むたびに、私はその女の子を思い出す。本を読み終わって、さあ寝ようかと布団に入って目をつぶっても、私はその女の子の事を思い出す。

 

それって恋なんじゃないか?
と私は多くの友人に聞かれるのだが、別にそういうわけではない。
高校の時に付き合って居た彼女とそのままゴールインするプランはできているし、比べるまでもなく彼女の方が素敵である。

 

じゃあ、その女の子の事を何故忘れられないのか?私は少し考える。何でだろうなと。執拗なまでに頭に残り続けるこの気持ちは何なんだろうかと。1分もせずに私は理解した。

 

その気持ちの名前は後悔であった。
懺悔とも言えるかもしれないが、後悔という言葉が1番しっくり来る。
私は女の子に対して、申し訳ないだとか好きだったとか、そういった気持ちが残っているわけではない。ただ、自分が尊敬して居た、自分がすごい!と素直に思える人間に対して、そのような行動を行ってしまった自分が許せないのだ。さらに明確にいうと、その女の子と親友までも失ってしまうような行動を選択し続けた自分が許せなくて許せなくて仕方ないのだ。

 

記事を書くことによって、この気持ちに整理をつける事ができた事を私は嬉しく思う。

 

だが、この後悔の念は決して消えないと思う。何があっても一生私の心の中にしこりのように残り続けるだろうし、2日に1回はその女の子の事を思い出して後悔の念に追いかけ回されるのだろう。そして、その度に愚かだった自分とまた向き合うのだろう。

 

私は将来必ず事業を創る。
今の社会に必要なモノを創る事業を。
誰かが必要としているが、誰も作ることができないものを創る。


そして、その事業の理念は
「人の為に」と決めている。


親友と女の子は私の元を去っていくと同時に、人の大切さを尊さを教えてくれた。彼らと俗に言う仲直りをする事は恐らくないだろう。というか、いくら私が望んだところで出来ないだろう。

 

だが私の軸は彼らによって造られている。私の中に彼らがまだいてくれるというのであるならば、それ以上のことは何も無い。私は前に進むだけである。