それはそうとも

思った事から映画の感想まで

全力で頑張ったことがある人っているのかな

こんばんは。どうもお久しぶりです。

 

インターン絶賛参加中で、

崖っぷちに立たされている私には、

ブログを書いている暇などまったく持て余していないのだけれども、

兎にも角にも思いついたことがあったので

記事を書かせていただいた所存でございます。

 

 

いきなり本題に入るんだけれども、

人生の中で全力で頑張ったことがある人っていますか?

 

なんか記事のはいりが宗教の勧誘セミナーみたいになっているけれども、

まっっっっったくそんなことはありません。

 

少し鬱になり、自分自身の人生を振り返って見たときに、

私はふと気がついてしまったのです。

 

「やべえ俺全力で頑張ったことがねえ」

 

 

 

なんてことだあああああああああああああ。

私はこの人生20年。

何も全力で頑張ったことがなかったのか。

 

いや振り返ればほぼ全力に近い状態に持って行った事はある。

部活とか多分そこそこ頑張ってた。

でもあれはそう。全力じゃなかったのだ。

 

てかそもそも全力の「全」って漢字が本当によくない。

だって、あまねくだし、すべてだし。

いやいやいやいや、全てをそこに費やせってそんな事

流石に厳しいでしょ!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

そんな感じで、私が頑張らなかったことについて

文字通り全力で言い訳させていただいたのですが、

そろそろ大人になりかけの私はそんな事を言ってられるわけもなく、

いやああ頑張んねえとなあああああああ。

ってなってます。

 

 

とりあえずインターン

人生で初めて全力で頑張ってみようと思います。

 

 

これが何かのきっかけになるといいなあ。

三日坊主ならぬ一日坊主にならないといいなあ。

今日も明日も、頑張るぞい!

新しい環境に飛び込む事が苦手

離任式ってのは、とにかく長い。
異動する先生がそれぞれ5分以上は話すもんだから、そりゃ長くなる。

 

そんな離任式で、私の大好きだった部活の顧問が話をした事があった。

俺も丁度卒業する年の異動だったから、特に思うところはなかったけれど、

大好きな先生だったので

背筋をしゃんとして話を聞いた。

その先生の言葉は今でも覚えている。

 

 

私は離任する時にとても億劫になる。

6年近く一緒に働いた先生方と離れ、             また新しい学校で

人間関係を築き直さなければならない。

だから、私は異動がとても苦手だ。

平たく言えば、

新しい環境に飛び込む事が苦手だ。

 

でも、そこに飛び込む事でしか

得られないものはとても沢山ある。

まだ出会った事のない人に、

会う事ができる。

新しい何かを探す事ができる。

新鮮な気持ちで仕事ができる。

 

きっとみなさんも新しい環境に飛び込む事が沢山あると思う。

恐る恐るじゃなくていいから、精一杯頑張って下さい。

きっといい事があります。

私も頑張ります。

 

みたいな感じだった。

新しい誰も知らない環境か、

古い慣れ親しんだ環境で迷ったら、

新しい環境に行けって事だと思う。

 

でも、それって簡単に選べる道じゃないって俺は思うよ先生。

やっぱ先生すげえや。

先生の場合、マストだからってのも、

すごい大きく関係してるけどね。

 

『先生』という生き物が心の底から大っ嫌いだ

『先生』という生き物が、心の底から大っ嫌いだという、ただそれだけの話をしようと思う。

 

この文章の全体的な構成は以下である。

 

①世間一般における先生の意味を広辞苑に基づいて確認

②この文章における『先生』の定義

③私が『先生』を嫌いな理由を可能な限りリストアップ

④その中から核心的な部分に繋がるエピソードを抜粋した上で、複数お話

⑤私がなぜ『先生』が嫌いなのか

 

まず始めに『先生』の意味を確認すると同時に、定義づけをしようと思う。

 

広辞苑によると先生は、

5つの意味を持つ。

 

①先に生まれた人

②学徳の優れた人。自分が支持する人。またその人に対する敬称。

③学校の教師。

④医師、弁護士など指導的立場にある人に対する敬称。

⑤他人を、親しみまたはからかって呼ぶ称。

 

今回の文章において、

『先生』は③の学校の教師を指し示す。

 

確認と定義づけが終ったところで、

なぜ私が『先生』を嫌いになったのか。思い当たる節を、可能な限りリストアップしてみようと思う。

 

①小学校の先生に頑張れと言われた

②中学の仲が良かった先生に実は裏でボロクソ言われてた

③生徒会長と言う理由で理不尽に怒られる事が多かった

④級長と言う理由でボロクソに怒られる事が多かった

⑤校舎内でえっちいことしてたら、先生に見つかって謹慎くらった

 

といった5つの理由によって、

私の、『先生』大っ嫌い!!!!

は構成されていると思われる。

 

------------------明日に続く-------------------

世界一のグロースハッカーの悩みを私は解決したい

私はただの大学生である。

 

大学1年生の私は、

ひょんなことからスタートアップのインターンに参加し、

多くの貴重な機会を得ることが出来た。

 

なんちゃら経営塾の公演に参加させて頂いたり、

インターン先で新規事業の責任者をやらせてもらったり、

営業に同行させて頂いたり。

一歩踏み出したことは絶対に間違いではなかったと思う。

 

 

 

半年に渡る活動の中で、

本当に多くの経験をさせて頂いた。

 

今回は数ある中から、

私が選ぶ最も貴重な経験について話をしたい。

 

私が選んだ最も貴重な経験は、

数十億円でメディアをバイアウトした、

世界最高のグロースハッカーに会ったことだ。

 

 

 

そのグロースハッカーには、

思っていたより簡単に会う事ができた。

 

当時メディアの編集長兼SEO担当であった私は、

思うようにPV数を伸ばす事ができずにいた。

メディア初経験で、知識にも乏しく入社3ヶ月弱の私を

編集長に適当に据えた代表は、

本当に頭がおかしいんじゃないかと毎日思った。

 

取り敢えず、数字が欲しかった私は、

過去にメディアを成功させた経験のある方に、

片っ端から会ってみる事にした。

 

大学のOBの方だとか、

SEOのコンサルをされている企業の方とか、

兎に角、成功した方がどのように成功したのかを聞いて、

私も成功しようと、ものすごく浅はかに考えた。

 

その中でインターンの先輩の紹介で会う事ができたのが、

先述したグロースハッカーの方である。

 

プログラミングにライター、SEOから新規事業開発まで。

スペシャリストでゼネラリストだった。

こんなすげえ人、本当にいるんだなと思った。

この人みたいになりたい。

と心から思った。

 

 

 

私は彼を崇拝した。

崇拝したと言うと、

なんだが悪い方向に話が転んでしまいそうに思えるが、

別にそんなことはない。

 

取り敢えず、彼に少しでも近づこうと、

彼にアドバイスを頂いた。

 

彼は、こんな風にアドバイスをくれた。

 

 

 

「努力の方法だとか、進む方向を人に確認するのは正しい。

 間違った方向にベクトルを伸ばし続けても、

 それは成功へとたどり着かないと思うから。

 でも、ここから先は君がどれだけ前に進むか。ただそれだけ。

 SEOで日本一にだってなれるかもしれないし、

 君が今担当しているPV数を伸ばすことすら出来ないかもしれない。

 兎に角、今はSEOについてひたすら調べてみるといいよ。

 私のTwitterに、私がいいと思った記事全部載せてるから、

 虱潰しに読んでみるといいと思う。」

 

 

 

ベクトルを正しい方向に伸ばすと言う話については、

ものすごい合点がいった。

 

昔何かの本で読んだ

「価値ある努力」

と考え方が似ているのかもしれない。

 

 

 

何がともあれ、アドバイスを頂いた私は、

翌晩ベッドに寝転びながら、彼のTwitterを全て遡った。

 

彼のTwitterで共有されていた記事は、

LIGだとかナイルだとか、

SEOについて調べると上位表示されるメディアが大半だったが、

どれもとても参考になる記事が多かった。

 

 

 

だが、彼の投稿の中で私の最も目を引いたものは、

記事に関するシェアではなく、

ただの彼の私的な呟きだった。

 

 

 

「仕事をする中で、

 私くらい勉強しているグロースハッカーに会った事がないんだけど、

 出会う層が異なっているのか、これで成り立っているのか。面白くない。」

 

 

 

特に深いことを言うつもりはない。

私ごときが理解できる世界ではないと思うし。

何よりも勿論、彼自身のことも理解できていないから。

 

 

 

ただ1つ確かなことは、

私は彼よりも時間をかけて学ぶ事が出来ると言う事。

即ち、

彼よりも高く登れると言う事である。

 

だから私は私自身の力で、

世界一のグロースハッカーの悩みを解決したい。

最低賃金が増加する事に喜びを隠しきれない女子大生

近々、日本の全都道府県で最低賃金が大幅に上がるらしい。

全国のオーナー達が、最低賃金が上がる事を知らないアルバイトに

「最近頑張ってるな!よし、賃金上げちゃうぞ!」

とまるで仕事振りを評価したかのように、

君だけの賃金が上がる!

とでも言わんばかりに鼓舞していることかと思うと、

少しばかりにやけてしまう。

 

だがしかし、全国の労働者の賃金が上がる事もしかり、

早起きをして、コンビニでせかせかと働く女子大生の賃金が上がるのは、

彼女の日々の忍耐と努力が認められているようで、私はとても嬉しい。

 

そんな賃金が上がったばかりの大学生も

今は夏休みの真っ最中ということで、

両手から溢れんばかりの時間を持て余していることかと思う。

 

私はその両手から溢れんばかりの時間を、

少しでも有効に使えたらと思い、

夏休みはSEOと英語を頑張ろうという目標を立てた。

 

目標を立てることまでは良かったのだが、

1日あたりに6時間、英語なりSEOを学べば、

よし今日は頑張った!と寝てしまう始末である。

 

我ながら、ズボラさというか間抜けさに泣きそうである。

 

今日を頑張らなかったものに、明日は来ないらしいが、

今日を後、2時間ばかし学問に費やすとし、

頑張れる明日がやってくる事を心待ちにしたい。

 

私が考える私の学歴

 

嗚呼、学歴について書くのは

これが何回目のことだろうか。
学歴なんてどうでも良いと、

 

誰かがそう言ってくれないだろうかと、いつも心のどこかで期待している。


東大にでも入って、
「学歴は馬鹿が気にすることだ」
と叫びたいような人生だった。


勿論、東大と言う学歴を振りかざして。

 

 

 

学歴を気にしなければならないポイントは、生きる中でとても多いように思う。


自己紹介と学歴がセットの時代だし、
言うまでもなく就活は学歴とセット。


合コンでも学歴は大事らしい。


彼女の両親に会うときもやっぱり、
学歴ってのは印象になると思うし、
子供が産まれてからも


「お父さんの大学ネットですっごい馬鹿にされてるよ?」


とはあまり言われたくない。

 

大学生活中盤戦の今でも、
学歴について気にするポイントは多いから、これから先の人生で俺はどれだけ学歴を気にして人生を過ごさなければいけないのだろうか。


と思うと、私はとても憂鬱になる。


高学歴の空が快晴だとしたら、私の空は何時も曇天なのだろうか。たかだか大学名ごときで、私の人生の空模様はそんなにも機嫌を悪くしてしまうのだろうか。

 

 

 

そこまで言うと、
急に馬鹿らしくもなってくる。


別に学歴があったからといって、
頭が切れるわけでもないし、
顔がかっこいいわけではない。


スポーツができるわけでもないし、
仕事ができるわけでもない。


机に向かった時間が長かったか短かったか、それだけのようにも思う。

 

 

 

 

私はここ最近、

人生の分岐路について迷う事が多い。


とても簡潔にまとめると、

 


A:学歴をあげた上で就職する
B:低学歴のまま就職する

 


さあ、どっちを選ぶ?
と言った話である。

 

どうしよっか本当に。

 


いやいや、お前今記事書いてんだろ。
急に口調変えるんじゃねえよ。


と突っ込まれそうだけども、
どうしよっか本当に。

 

 

どっちを選ぶのが正解なんだろうか。
迷いすぎて分からなくなってしまった。

 

 

んーと取り敢えずこういう時は、
人生の中で何を大切にするのか、
何を軸にするのかを決めたいと思う。

 

1.本当にしたい事はなんなのか

2.何を軸として生きるのか

3.何を残すか、と

   どのように評価されるか

   どっちを選ぶのか

 

 

とか決めれば

必然的に答えは出るのだろうか。

 


2.3あたりは似通ってるというか、同じ事言ってるようだから、まとめたほうがいいのかもしれない。

 

 

取り敢えず、

次の記事は1について書こうと思う。


思うところがある方がいられましたら、

ご教授願いたい所存でございます。

大切だった女の子とマスターへ

私の高校時代は明るかったと言い難い。虐められていたと言うわけではないが、それに近いものがあったのかなあと個人的には思う。まあ、それも全部自分のせいだから何とも言えないんだけれども。

 

思い出したくもない昔の事を、本当にごく稀に思い出す。

 

私には彼女がいた。それとは他に仲の良い女の子が居て、そいつの事が好きな親友も居た。「親友」って響きはすごいチープだけど、最も仲の良かった友人を指し示す単なる言葉として使わせてもらった。

 

あんまり詳しく書きすぎると身バレしそうで怖いから、詳細はは省かせていただく。ものすごい簡潔にまとめると、三角関係がこじれて、私が約束を守らなかったせいで仲の良い女の子を失った。そして、それを密告した親友を脅迫して、結局彼も自分の元から居なくなった。彼女以外の全てを失った。

 

私はとても悪い人であるから、周囲の人が私から離れていくことは多々あった。浮気とか平然とするし、どうでも良い人は当たり前かのように使い捨てるし、人を傷付けることにあまり躊躇はなかった。だから、自分が興味のない人が離れていくことに対しては何も感じない。自分の周りで自分が素敵だなと思う人自体がとても少なかったので、自分の好きな人に嫌われるのは初めての経験だった。

心から尊敬していた女の子に嫌われてしまった。二度と話しかけないでと、二度と私に関わらないでくれ、と。
彼女はとても自由な人だった。休み時間に大声で歌は歌うし、化学の授業は適当に受けて先生にひたすら怒られてるし、発言も8割は空気を読んでいないような発言をするし。でも、本当に素敵な人だった。周りを気にしない、こういった表現はあれかもしれないが良い意味で日本人らしくない女の子だった。少し困った私をいつも笑顔にしてくれる人だった。学校に行きたくないと高校2年生の中盤から思い始めたが、最後まで通いきれたのは彼女とその女の子のおかげだと思う。

 

女の子が私に貸してくれた本があった。その本を読むたびに、私はその女の子を思い出す。本を読み終わって、さあ寝ようかと布団に入って目をつぶっても、私はその女の子の事を思い出す。

 

それって恋なんじゃないか?
と私は多くの友人に聞かれるのだが、別にそういうわけではない。
高校の時に付き合って居た彼女とそのままゴールインするプランはできているし、比べるまでもなく彼女の方が素敵である。

 

じゃあ、その女の子の事を何故忘れられないのか?私は少し考える。何でだろうなと。執拗なまでに頭に残り続けるこの気持ちは何なんだろうかと。1分もせずに私は理解した。

 

その気持ちの名前は後悔であった。
懺悔とも言えるかもしれないが、後悔という言葉が1番しっくり来る。
私は女の子に対して、申し訳ないだとか好きだったとか、そういった気持ちが残っているわけではない。ただ、自分が尊敬して居た、自分がすごい!と素直に思える人間に対して、そのような行動を行ってしまった自分が許せないのだ。さらに明確にいうと、その女の子と親友までも失ってしまうような行動を選択し続けた自分が許せなくて許せなくて仕方ないのだ。

 

記事を書くことによって、この気持ちに整理をつける事ができた事を私は嬉しく思う。

 

だが、この後悔の念は決して消えないと思う。何があっても一生私の心の中にしこりのように残り続けるだろうし、2日に1回はその女の子の事を思い出して後悔の念に追いかけ回されるのだろう。そして、その度に愚かだった自分とまた向き合うのだろう。

 

私は将来必ず事業を創る。
今の社会に必要なモノを創る事業を。
誰かが必要としているが、誰も作ることができないものを創る。


そして、その事業の理念は
「人の為に」と決めている。


親友と女の子は私の元を去っていくと同時に、人の大切さを尊さを教えてくれた。彼らと俗に言う仲直りをする事は恐らくないだろう。というか、いくら私が望んだところで出来ないだろう。

 

だが私の軸は彼らによって造られている。私の中に彼らがまだいてくれるというのであるならば、それ以上のことは何も無い。私は前に進むだけである。